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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)4965号 判決 1960年11月28日

三和相互銀行

事実

原告東京食品株式会社は、判決要旨中に記載されているとおりの事情、経過に基き被告株式会社三和相互銀行に対して民法第七百十五条の規定による損害賠償を請求したのであるが、これに対し被告銀行は、(一)相互銀行は相互銀行法第十条により同一人に対する貸付額につき、資本金及び準備金の合計額の一割を超えてはならない旨の制限を受けているところ、昭和三十二年三月当時、被告銀行の資本金は金一億二千万円で、積立金は利益準備金三千三百七十万円、任意積立金四千六百二十万円、繰越利益剰余金九十万二千円で、以上合計金二億八十万二千円であつた。のみならず、昭和二十八年二月十九日監督官庁たる大蔵省は被告銀行に対し、同一人に対する貸付限度を金千万円とすべき旨の通牒を発し、更に翌二十九年十二月二十三日、相互銀行は已むを得ない場合を除き、できるだけ債務の保証を行なわないよう指示していたものであるから、本件債務保証契約の如きは、被告の事業の範囲に属しないものである。(二)民法第七百十五条にいわゆる「事業ノ執行ニツキ」とは、不法行為が被用者の担当する職務行為としてなされ、且つ被用者の担当する職務の範囲に属するものと一般人が考えるような客観的な状況下においてなされることが必要である。ところが本件においては、被告銀行のなす貸付並びに保証行為については前記のような一般的規制があり、また被告銀行内部においても事務分掌及び内規により、貸付等については貸付課長、支店長、営業部長、専務取締役、社長等の区分に応じて貸付金の担当制限額を設けている。従つて、被告銀行の貸付係でもない大沢朋弘が被告銀行を代表又は代理して債務保証をなす権限を有しないのは固より当然で、原告主張のような巨額の債務保証をなすことが、一行員に過ぎない大沢、辻らの職務に属しないことも亦明らかである。しかも、同人等がかかる職務権限を有しないことは客観的にみても、一般人が常識上当然知り又は知り得べき事柄である。

以上二点において原告の請求は失当であると抗争した。

理由

被告株式会社三和相互銀行が相互銀行法に基き銀行業務を営む相互銀行で、訴外大沢朋弘、同辻健太郎が何れも原告主張の当時被告銀行の被用者であつたことは当事者間に争がない。よつて、先ず右両名の原告に対する不法行為が成立するか否かについて判断するのに、証拠を綜合すると、原告は昭和三十一年初め頃から原告会社の岡山出張所を通じ、訴外みづほ産業株式会社との間において、同会社の製造する果実蜜及び雑酒の原料たる精糖を供給する等の取引を始め、その後同会社より右製品を買い受けこれを原告会社大阪支店を通じ更に同会社の姉妹会社である訴外みづほ物産株式会社に販売する等の取引もなされるに至つたが、原告は右各取引において、右みづほ産業に対し精糖を同会社振出の長期の約束手形により貸売し、また同会社の製品を現金で買い受けてこれを右みづほ物産に対し同会社振出または裏書の長期の約束手形で貸売する等の方法により、右両会社に対し資金面の援助をなし、昭和三十二年二月末における右会社に対する債権が合せて四千二百八十七万九千四百十二円となつた。

ところで訴外大沢朋弘は、当時被告銀行の専務取締役をしていた訴外大沢貢の長男で、自らも被告銀行の預金推進部に勤務していたが、右みづほ産業が父貢の特別な計らいにより被告銀行から多大の融資を受けていたことや、同人が出身校である同志社大学の同窓生とともに設立した訴外ゼネラル物産がみづほ物産と事実上合併したことなどから、昭和三十二年初め頃よりみづほ産業及び物産の経営者黒田錦一の依頼を受けて右両会社の経営に関与することとなつた。しかし右両会社はその頃既に原告会社より前記取引に関して三千五百万円程度の借越となつて信用授与の限度に達したからこれ以上の信用取引には応じ兼ねる旨を申し渡される一方、製品の飲料水の需要期間が春及び夏で、その売上金が集まるのは八月以降となるので、一、二月から八月頃までの間に多額の資金を必要とし、当時原告会社から信用取引を停止された場合には営業の継続が至難となる状態にあつた。

そこで大沢朋弘は同年一月末頃右黒田錦一と共に原告会社岡山出張所長安田充に対し原告会社の援助を懇請し、右三者間で取引継続の方策につき協議を重ねたところ、みづほ物産が原告から買い受ける前記商品代金の支払のため振り出す約束手形につき被告銀行の保証を受けることにより、原告の右会社に対する信用授与の限度額を増加して信用取引を継続する以外に方法がないという結論に達し、その保証限度額を同年度における資金の必要見込額に合せてこれを五千万円とし、大沢朋弘が被告銀行の専務取締役の息子でまた同行員の身分を持つものでもあることから、同保証に関する被告銀行内部の意思決定やその他の手続等保証契約の実現につき責任をもつことになつた。しかしながら、被告銀行はみづほ産業に対し当時既に三千万円程度の融資をしてその回収に苦慮していたほか、監督官庁たる大蔵省より被告銀行に対し同一人に対する貸付限度を一千万円とすべき旨の通牒が発せられ、また相互銀行は已むを得ない場合を除きできるだけ債務の保証は行なわないよう指示を受けていたので、みづほ物産の債務につき前記のような保証をすることは困難な状況にあつて、大沢朋弘は、被告銀行の機関に対し右保証の件を計ることもできないでいたところ、右安田から屡々の督促を受けたためこれに対し、銀行の機関に対し一応の試案を出したところ通過したとか、役員会にかけて承認を得たとか、その時に応じ保証契約締結の手続が順調に進んでいるが如き返答をしてその場を糊塗しているうち、その言を信じて保証のなされる予測のもとに信用取引を継続していた原告会社から右安田を通じ、早急に保証書を交付するよう強く要求され、やむなく同年三月一日にこれを交付する約束をしたが、これを履行できる筈もなく、同日は営業部長が不在のため銀行印がなくて保証書が作成できない旨の文書を右安田に差入れてその場を逃れたが、遂にその措置に窮し、保証契約の締結に基いて貸与さるべき五千万円の資金が得られるならば、みづほ産業及び物産の事業が好転し、同年度の利益によつて原告に対する買掛債務を返済できる結果、保証契約のことが表面化せずに済むであろうとの考えのもとに、被告銀行の保証書を偽造することを決意し、既に右安田と協議の上タイプしてあつた保証書の用紙に、被告銀行の預金証書に押捺された印影に似せて作らせた印鑑を翌二日押捺して、被告銀行代表者日下辰太名義で本件保証書を偽造し、これを同日右安山に交付した。

しかして原告は、本件保証書の受領により同書面の文面に従つて被告銀行がみづほ物産振出の約束手形金債務支払につきこれを保証したものと信じ、その後も前記のような信用取引を継続していたところ、同年七月十二日に至り、みづほ産業及び物産は営業資金の不足から支払停止となり、約二億円の債務を抱えて倒産した。そこで原告は右保証契約に基いて被告銀行に対しその履行を求めたところ、被告銀行より、そのような保証契約を締結したことはないので支払に応じられない旨の返答を受けたので驚いて調査したところ、意外にも被告銀行が本件保証契約を締結した事実はなく本件保証書は大沢朋弘が偽造したことが判明した。そうしてそのときは、既に前記保証の存在を前提として右両会社に貸売を継続していたため、右支払停止当時における右両会社に対する債権額は八千八百五十五万三千二百円に増加していた。ところで、本件保証書の授受により原告において被告銀行との間に締結されたものと信じていた保証契約により保証さるべき債務は右のうち金五千万円であるが、原告は現にこの支払を受けることができない状態にあることが認められる。

してみると、右大沢朋弘が原告に対し故意ある不法行為により損害を加えたことは明らかである。

ところで原告は更に、被告銀行の貸付課長の職にあつた訴外辻健太郎も大沢朋弘と共謀の上、その地位を濫用して前記保証契約を締結した旨主張し、同人が原告主張の当時その主張の職にあつたことは当事者間に争がないが、同人が右大沢朋弘の前記不法行為に関与した旨の右主張に副う証拠は証人安田充の証言のほかないところ、証人大沢朋弘及び辻健太郎の証言によると、右大沢朋弘は前示のとおり右安田から昭和三十二年三月一日には必ず保証書を交付するよう強く要求されたため、同日に至り、もはや自己一人の弁解では間に合わない事態となつて、已むを得ず父の貢と特別な関係にあつて自らも親しい貸付課長の辻健太郎を右安田を信用させる手段に利用しようと考え、執務中の同人を前記出張所に連れ出して右安田に被告銀行の西川営業部長が出張中である旨を述べさせ、直ちに同人を退席させた上、言葉巧みに保証の件は営業部長も承認しているが同人が出張中なので保証書に押捺すべき社印及び社長印を使用できないため、同日保証書の交付ができない如く右安田を偽罔したが、右辻は保証に関する安田と大沢朋弘との従来の折衝につき何ら知らされていたわけでなく、大沢朋弘の誘導により営業部長が不在の事実を述べたに止まり、大沢朋弘の前示不法行為に関与していない事実が認められ、またもし右辻が本件保証に関する大沢朋弘の行動を察知したならば、恐らく同人をして保証書を偽造させるが如き、事態に至らせなかつたであろうことも右各証言から窺えるところであるから、原告の主張に副う前記安田充の証言は信用できない。

よつて次に大沢朋弘のなした前記不法行為が被告銀行の事業の執行につきなされたものであるか否かについて判断するのに、相互銀行法第十条には、相互銀行は同一人に対する貸付額がその資本及び準備金の合計額の百分の十を超えてはならない旨の規定があつて、証拠によると被告銀行の資本及び準備金の合計が二億八十万二千三百円であり、また他の証拠によると、大蔵省より被告銀行に対し、被告主張のとおり、同一人に対する貸付額を一千万円以内とすべき旨及び債務の保証は貸付に含めて信用供与額を決めるべく、且つ手形保証等の一般的な債務保証は已むを得ない場合を除き厳に戒めるべき旨の通牒が発せられていることが認められるが、相互銀行法第十条は、相互銀行が国民大衆のための金融機関であることからその適正な運営を期するために貸付の指針を定めたもので、相互銀行の行為能力を制限した規定ではないと解すべく、また右通牒は行政機関の被告銀行に対する監督作用で、民事上の法律行為に影響をもつものでないことはいうまでもない。更に証拠によると、相互銀行は前記第十条の規定によつて同一人に対する貸付額を制限されているが、取引界の実情から右制限の範囲内では相手方の要求を満たせない場合が多く、かかるときは、同条が貸付額の限度は定めているが債務保証についてはこれを明示していないので、債務保証の方法により同条の制限を超えた信用供与を行つているのが通例で、大蔵省の前記通牒はかかる債務保証による弊害に鑑み、右第十条の行政解釈と債務保証への指針を示したものと認められ、同法第二条第三号に定める資金の貸付または手形割引の附随的業務には手形債務の保証も含まれると解されるから、前記の保証は被告銀行の事業の範囲内にあるものと認めるのを相当とする。

しかしながら、証拠によると、大沢朋弘は昭和二十九年五月被告銀行に雇員として採用されて同行東支店に勤務し、その後書記補、書記となり、同三十年七月頃本店に貯蓄推進部が新設されてから、同部に所属したが、同部は被告銀行において各地区の婦人会に属する主婦など大衆の貯蓄増進と婦人層に対する宣伝活動を目的とし、実際には各家庭に貯金箱を配つて一日十円程度の貯金を得、これを月一回集金して銀行預金とする業務を行なつており、その部名の示すとおり、貸付、手形割引、債務保証等信用供与に関する業務は全く取り扱つていなかつた。しかして、大沢朋弘は父が被告銀行の専務取締役であつたことから勝手に貯蓄推進部長代理なる肩書を付した名刺を使用し、被告銀行も事実上これを黙認していたので、第三者は同人を貯蓄推進部長代理の職にあるものと信じたであろうが、その職名からして、同人に被告銀行の信用供与に関する職務を取り扱う地位も権限もないことは明らかであつた筈で、本件保証契約の締結に関し大沢朋弘との折衝に当つた原告会社岡山出張所長安田充も、後に判示することを別として、貯蓄推進部長代理としての大沢朋弘に保証契約を締結する権限もまたその職務にもなかつたことを承知していたことが認められる。

もつとも、証拠によると、大沢朋弘の父貢は現在の被告銀行を育成した功労者で、同人は代表権限を有する専務取締役の職にあつて同銀行の実権を完全に掌握する独裁的権力を有し、岡山市附近では三和の大沢か大沢の三和かといわれる程であつた。従つて、被告銀行から特別な融資を受けようとする企業家たちの中には、大沢朋弘が大沢貢の長男である関係上、若年の右朋弘を利用して右専務に近づくものがないわけでもなかつた。そうして前示みづほ産業は大沢貢の特別な計らいにより被告銀行から約三千万円の融資を受けていたほか、同会社の訴外広島銀行に対する債務を右貢が一時個人保証したこともあつて、同人との関係が特に深く、このことが結局右朋弘が同会社の経営に関与する原因ともなつたのであつて、前記安田はこれらの事情に基き、大沢朋弘が前記のように被告銀行の債務保証につき責任を持つならば同人が父の貢に働きかけることにより保証契約が締結されることは間違いないものと信じて同人とのみその折衝を行つたことが認められる。しかしながら、右の事情は右大沢貢と朋弘との個人的な身分関係に由来するもので、父の貢が被告銀行の代表取締役であり、独裁者であるからといつて、その息子に被告銀行の保証契約締結に関する職務権限が生ずるいわれはなく、被告銀行もまた大沢貢も、大沢朋弘に対して貸付或いは債務保証をなす権限またはこれらに関する職務を与えたと認めるに足りる的確な証拠がないので、大沢朋弘の前記不法行為は、被告銀行の被用者としてその事業の執行につきなされたものとは認められない。

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は失当である。

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